スリーピースの概要

名称 特定非営利活動法人スリーピース
主たる事務所 埼玉県越谷市北越谷二丁目11番19号プラザ・ドゥ・オンワード101号
代表理事 舘野 薫
副理事 木村 稔
理事 渡辺 幸男,  中澤 秋雄,  佐藤 信夫,  古川 哲也,  中山 孝幸,  ラムシーフォン,  井出 和輝

スリーピースのあゆみ

2007年4月 カンボジアに舘野日本語トレーニングセンターを設立
2010年9月7日 特定非営利活動法人として登録

代表からのメッセージ

私は大東亜戦争の終わる年、小学校に入りました。

昭和20年8月上旬頃か、長岡市の東山と西山が交わる所に真っ赤な火を見ました。それは後で思うと米軍の空襲でした。私たちも学校に行く時は、毎日頭巾を被って通っていました。校舎の壁は白と黒に塗られていました。小学校1年生の時でした。

昭和30年中学を卒業する年、私は生死を分ける大病に卒業式には出られませんでした。
二月の始め頃、大雪の最中箱に入れられそりに乗って県立病院に入院、診断はリウマチで結核病棟に移され、しかし数日後リウマチではなく病名は不明とのことで一般病棟に戻り、普通の治療を始めました。熱を下げるにも当時はペニシリンしか無く、毎日尻に打っていました。

ある日看護婦がいつものように尻に注射を打った次の瞬間、足の先からシビレが始まり、左足首が上下しなくなり、母が夜夜中マッサージをしてくれたのですが、未だかつて上下することなく、70歳を超えました。動かなくなってから十年位は、あの看護婦があの注射を打たなければなどと思いましたが、これも私の人生の1ページ、人を恨んではいけないと思うようになり、仕事に専念するようになりました。しかしつまずいたり転んだり、不自由な時はあの注射を打ってくれなければなぁと悔しさ一杯の時もありましたが、そうじゃない、俺はこの身体で人に負けないよう頑張れば良いと思い、心に力を込めて頑張ってきました。

そのお陰と申しますか、仕事を独立したのが昭和43年頃、最初は世の中何も分からず2〜3年過ぎた頃いろんな人に好かれたり騙されたりしましたが、第一次オイルショック、第二次オイルショックも乗り越え、世の中不況の時も結構仕事があり、大変助かりました。

中学の終わりの大病で、私の人生は50歳で終わりと考えていました。それが現在70を超えるところまできたのですから、もう20年も得をしているわけです。これも周りにいる人たちのお陰と、大きく言えば地球、太陽や食物その他いろいろな資源のお陰と思っております。

さて本題のNPOの立ち上げのきっかけですが、2007年の4月、ある重機屋さんにカンボジアでの仕事の話をいただき、現地に行ったときでした。長年、ベトナムかカンボジアに学校を作り、人々のためになりたいと思っていたところに、通訳(ソチェット:現在の校長)が学校を設立できる免許を取ったということを聞き、タイミングよしという事でその11月に無事学校を開校することができたのです。

学校の運営上、再々カンボジアに行く事になり、その都度いろいろな局面に会う事になります。
ベトナム(ホーチミン)から陸路カンボジアに行く途中川を渡るのですが、渡し船には手足がなかったり、義足だったりの小さな子たちが新聞や飲み物果物を乗客に売っていたり、両足がなく、ひざまずいて物を売る青年、赤ちゃんをだっこしながら頭に物を乗せて売る母親など、日本では考えられない光景が多々ありました。

カンボジアの歴史を見ると、ポルポト派と政府軍が内戦をし、何年間も戦争状態にあり、カンボジアの遺跡、アンコールワットやトムも被害に合い壊されています。国連の助けにより内戦は集結しましたが、今なおタイ国境付近には、何十万個の地雷が埋められており、除去するには数十年かかるとのことです。
今でもその地雷に足を取られ、苦しい生活を強いられている人々がたくさんいます。内戦は終わっても、人々の心の戦争はこれから行く年先まで続く国です。
しかしこの国の人たちは大人から子供、赤ちゃんにいたるまで、皆笑顔が美しいです。
この笑顔をなくさないよう、応援したいのです。
代表理事 舘野 薫