ボランティアレポート(3/11/2012~7/12/2012)

ボランティアレポート =yasu=

2009年からTATEN学校におじゃまするようになってから、今年で4()目となる。

今回は、“レポート”と言うより、折に触れて書いてきたことを「日記風」にまとめてみました

従って、レポート的な一貫性に欠けますので、そこのところはどうぞ、ご勘弁いただきたく!

思いつくままに書いています。フォントも、またその大きさなども統一されていませんので、よろお願いいたします。

*サンドウィッチ・鳥の唐揚げ・カレーライス・竜眼やミカンなどの果物!

女性陣のオール手作りでみんなでおいしくいただきました。

《エンターテイメント》

風船割り・ジャンケンポンで頭早叩き・椅子取りゲーム・コーラ早飲み、などの競争。

いずれも勝者には、豪華?プレゼント贈呈!舘野社長から渡してもらいました。

《エンターテイメント》

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いずれも勝者には、豪華?プレゼント贈呈!舘野社長から渡してもらいました。

=いざ結婚式へ=

25日の結婚式には、プノンペンから3台に分けてベンツのバンタイプの車が用意された。

私は、7時発の、最初にスタートする車で舘野社長やソチェット校長と同乗させていただいた。

後の2台は、8時と10時に出発。ピセットさんの人徳であろうか、日本からも彼の結婚式に駆けつけてくれた人や、プノンペン在住の日本人の方、そして彼のTATENOの教え子など多数参加してくれることになっている。

カンボジアでの車を使った移動(移動手段は車しかないのであるが)には、よくトラブルがつきもの。案の定、今回も巻き込まれてしまった。コンポンチャムへはシェムリアップに通じる国道6号線を走るのだが、プノンペンを出てメコン川にかかる“日本橋” (日本の援助で架けられた橋) を渡るとすぐ、道路は改修中!

ガタガタ道で、スピードも出せない。

その内、長ーい渋滞の中でとうとう車が動けなくなってしまった。進行方向へは全く動きはないが、対向車線からはどんどん車やバイク、自転車がやってくる。チャーターした車の運転手のボンナーさんも次第に苛立ってきた。私も何度かこんな状態に置かれたことがあるので、こんな時は“待つしかない”と割り切っている。

日本の結婚式は、「何時に始まり何時に終わる」と、ほとんど正確に決まっている。

ここはカンボジア。風俗習慣が全く違う。そもそも25日はすでに朝7時ころから式が始まっているのだ。100m以上の行列をなして、手に手に、果物やお菓子などお祝いの品物を持って花嫁の実家に向かって進んでくる。(カンボジアは嫁入婚ではなく婿入り婚である。お婿さんの方から、お嫁さんの家に入っていく)

カンボジアの一般的な結婚式のスタイルは、式そのものは家で、披露宴は会場を借りて・・・と言うのが一般的。そのあたりは日本と同様。しかし、今回は式も披露宴も、お嫁さんの実家でおこなうことになった。

と言うのも、二人ともプノンペンに住んではいるのだが、もしプノンペンで式や、披露宴を行うと莫大な費用が掛かるとか。そこで、お嫁さんの実家でやることにしたそうだ。両家のご両親や、親戚一同がもしプノンペンのホテルに泊まるとしたら、更に費用がかさむ。余裕のないピセットさんにとってはこの選択がベストだったのだろう。

話は戻って、式当日は朝から朝食も用意されている。日本とはずいぶん違う。

我々は、それに間に合う為には前日から来ていなければありつけない。今回は結婚式の当日の朝、プノンペンを出て、会場のお嫁さんの実家に向かっている。

従って、結婚式は淡々と進んでいて時間がずれてもあまり問題にしなくていいのである。

予想所要時間は早くて3時間半くらい。

運転手のボンナーさんは、対向車やバイクを捕まえては、事故の様子の情報収集に余念がない。日本なら、もうとっくに警察官が来て交通整理に入っているころだ。カンボジアにそれを期待するのは無理。

誰かお金を払わないと、お巡りさんは来てくれないのかもしれない。通行者が自力で解決の道を探すしかない。対向車などに何度か訊いているうちに、様子がだんだん分かってきた。

数百メートル先の状態は、下記のとおりである。

どうも、車同士が衝突して、我々と同じ車線を走っていた車の“ハンドルが折れ”二進も三進もいかなくなって立ち往生の状態らしいのである》

対向車線をやってくる人の中に地元の道路状況に詳しい人がいて、“ここからUターンして6号線と並行して走っている道を行け!”とのこと。

ボンナーさんは、即決断!対向車を無視して強引にUターンし、元来た道を5分ほど戻った。

これらの情報はすでに他の運ちゃんたちも把握していて、次から次へと“それらしい”道へ入っていく。

そのため、またその細い道でも渋滞が始まった。この道は、恐らく旧道で、今は地元の人しか使っていないようだ。ここでも対向車のみがどんどん向かってくる。一体全体、どうなっているんだ。・・・・・・・・・・・・そこでも20分くらい待ったであろうか?

やっと動き出した。

それからあとはスイスイ!その旧道をさらに進んで左折すると、6号線に出た。事故の様子がまるでウソだったかのようにスピードを出して進めるようになった。

もう、時計を見ると11時を回っている。とっくに到着している時間だ。やっとのことで、コンポントム方面へ向かう道とコンポンチャムの中心部へ向かう道のロータリーに差し掛かった。

このロータリーは、シェムリアップに行くとき毎回通るのでよく覚えている。

あとどのくらいで着くか、ソチェット校長を介して、舘野社長が訪ねた。

ボンナーさんが答えた ”あと10分くらいです”と。

しかし、行けども、行けども道は続く。途中でまたボンナーさんに尋ねた。答えは先程と同じ、

あと10分くらい”???????? あり得ない。

ここで3年前を思い出した。

シェムリアップにいた時のことである。車をチャーターして“プレァ・ヴィヒア”と言う世界遺産の寺院へ向かった。

その時の運転手さんも、道は不案内!当然行く先々で地元の人に道を尋ねることになる。

第一回目のこと;あとどのくらいかかるんでしょうか?と訊くと

地元の人が答えて曰く、“あと、ぴーKm,ぴーKm”。

クメール語で“ぴー”とは“2”のこと。従って、目的地まではあと2Km位で到着できる。と言うことなのである。

ところが2Km以上走っても、着かない。そこでまた他の地元民に尋ねることにした。

第二回目;別の地元民も答えは同じ。

あと、ぴーKm,ぴーKm”。どの人もこの人も、返事の仕方だけは心得ているなァ、と感心した次第である。

誰に訊いても、”あと、ピーKm ピーKm”なのである。

今回も同じような返事の仕方を聞いて、思わず笑ってしまった。

=会場到着=

12:00ちょっと前に無事につくことにはなったのであるが、とりあえず先にホテルにチェックインして荷物を置いてから会場に向かった。

ピセットさんに言わせると、今日泊まるホテルは“コンポンチャムで一番”とのこと。私は決して納得はしないが、彼がそう言うんだから、そうなんだろう。

外見はソコソコ見栄えはいい。プールもある。

ホテル代は丁度20ドルなので、このレベルなら納得せざるを得ない。勿論ゲストハウスよりは格段にましだ。

どこもそうであるが、ホテルの質の差は、何と言っても“水回り”がどれだけ完璧かにかかってくると思う。例によってここも、シャワー(水の出が悪い、お湯が使えない)・トイレ(コックが半分壊れかけ)・洗面台(位置が異常に高すぎて使いづらい)etc. 難がある。

ホテルを出て、頂いた招待状の地図を見ながら、いざ会場へ。

この時期は、雨季が終わり乾季が始まって、あちこちで結婚式花盛り。新婦の家に着くまでに2件の結婚式に出くわした。

東南アジアは、乾季と雨季に気候が大きく分かれているが、乾季に入るといきなり結婚式ラッシュとなる。

雨季なんかに結婚式をやると、雨に降られて参加者が激減し、閑古鳥が鳴く結婚式となってしまうのだそうだ。それでは縁起が悪い。

そこで雨もめったに降らない乾季に入ると、至る所で結婚式の花盛り、となるのである。

途中、小雨がパラついてきた。でも大した大雨にはならないだろう。

式場に着いた。

7人くらいが囲める丸いテーブルが20数テーブルある。満席だと150人くらい座れる勘定だが、こちらの結婚式では、めぼしい人に招待状を事前に渡してあるものの、間違いなく出席してもらえるかどうかは不確かなのである。日本のように、事前に出席者が確定されていない。

おまけに、早朝7時ころから晩の8時半ころまでは続くので、出席者も入れ替わり立ち代りやってくる。やってきては食事をごちそうになり、ビールを飲んで楽しむ。その間、新郎新婦はお客さんの周りを適当に回っては挨拶したり、写真を撮ったり。

そういう訳で、今回のお客さんの延べ人数は400~500人くらいに上る。日本とはえらく違う結婚式風景である。

披露宴の後半、佳境に入ってくると、招待もされていない近隣の老若男女が野次馬見物に集まってくる。その数50~60人程。ご相伴にあずかる者もいる。勿論タダで!主催者としてはそんなことは意にも介さない。見物して場を盛り上げてくれるなら“どうぞ!”と言ったところである。

料理はと言うと、専門の料理人グループを雇い、その場で調理して提供されてくる。

楽団も付きものだ。今回の楽団のグループ名は“カエルの楽団”。地元では人気の楽団らしい。

演奏者、踊り子や歌手を含め総勢10名ほど。

日本と同様祝儀もはいるが、あれやこれやでそれなりに当然費用もかさむ。

=祝儀と費用=

私は、こちらの結婚式に参加するのは、今回で4回目である。どうしても訪れる時期が乾季に当たり、結婚式も多くなってくるので、参加機会が増える。

祝儀についてであるが、聞くところによると、日ごろから普通の付き合いの友人などは、平均祝儀金額は30ドルくらいあればいいとか。

その中でも、あまり豊かではない人は10ドルくらいでも一般的らしい。それでも十分に出せない人もいるらしく、それなりに参加してお祝いの気持ちを伝えるとか?

実は私も、4回の出席のうち、2回はご馳走になっただけで、祝儀を出していない無料参加。

こちらでは、只で食ったり、参加したりすることを、「シー・フリー」という。

シー“とは、クメール語で、”食べる“。”フリー“は英語の”タダ、自由“などの意味で、クメール語と英語から来た造語である。つまり”無料“と言うことある。

参加者の中には破格の祝儀を出してくれる方もいるようで、特に今回は新婦の姉妹夫婦の中には裕福な家庭もあり、1000ドルという超高額な祝儀をだしてくれた姉夫婦もいた、と新郎が語っていた。リッチな家庭でないとなかなか出せる金額ではない。

また、こちらの家庭の兄弟姉妹・親戚などはお互い“助け合い”の気持ちが大変強く、こんな時も一生懸命応援してくれる。

勝手な皮算用をさせていただくと、仮に一人あたりの祝儀が15ドルとすると、これも400人が参加したとして、勝手な推測をすると6000ドル近くの祝儀が集まることになる。

因みに、新郎によると、結婚式の総額は8000ドル近くかかると事前に言っていた。更に結納金3000ドルがプラスされるとか。物価や生活水準からいうと、すごい金額になる。

元々カンボジアの基本的な風習では、新郎側が式の費用の100%を負担するものらしい。

最近では、両者がそれなりの按分をすることもあるとのことだが、それにしても、生活レベルからするとこの金額は目ン玉が飛び出ますね!

ひょっとすると今回は祝儀が思いのほか集まったのかもしれません!!。

結婚式が終わった数日後、かかった費用の「清算は終わったの?」と聞くと、「無事終わりました!」

とのことであった。

ピセットさんの、結婚式前の表情と、後の表情とでは全く違って見えた。式の前は、特に費用について深刻な顔をしていたが、終わってからは見違える程のすがすがしい顔をしていた。

本当に“無事”に終わったのであろう。

目出度し目出度し!!!!

=式が終わって=

二人の結婚後の生活は、プノンペンに帰り、元の生活に戻っている。

奥さんは、経営する店で業務再開し、従来通りそこで生活。忙しく?働いている。

旦那はというと1930にTATENOでの授業が終って、我々と一緒の夕食のあと、奥さんの店に行って、夜は奥さんと過ごし、早朝6:00までにTATENOに戻り、6:00からの授業を担当。

すっかり今までと変わらない生活に戻っている。

特別なハネムーンはお預け。結婚式の翌日、コンポンチャムの我々も泊まったホテルに二人で一泊したのが、蜜月の楽しみであったようだ。

数日後、二人はプノンペン在住の兄弟姉妹に“感謝の宴”を開いてくれた。例のコストパーフォーマンスに優れた“焼肉屋さん”で。

私とソヴァート先生も一緒にご馳走になった!!

3;ピセット(Pisetth)先生30歳

彼との付き合いは今年で6年目。一種の“腐れ縁”。

私が、プノンペンに在る「NGO学校」に始めてボランティアとして活動するようになって以来の知り合いである。

彼は、11月25日に目出度くゴールイン!私も、新妻の出身地である「コンポンチャム州」での結婚式に出席させてもらった。((結婚式の様子などは、Facebookに掲載しましたので、Facebookの“藤山靖昭”を検索していただくとご覧いただけます))

彼は早朝6時からの一時間と夕方17時30分からの二時間、一日合計3時間を担当している。

また、TATENO学校(正式には、TATENO Japanese Training Center)の創設者である、舘野社長のカンボジア訪問の際には、社長の通訳係りとしての顔もある。

4;オーン(Oun)先生37歳